法華津 寛

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法華津 寛

法華津選手

12歳で馬術を始め,1964年に開催された東京オリンピックに出場し、障害飛越個人40位、同団体12位でした。

その後馬場馬術に転向、1986年アジア競技大会では馬場馬術個人、団体ともに2位となりました。

1988 年に開催されたソウルオリンピックでは出場権を確保したものの愛馬が出国検疫においてウイルス陽性反応を示してソウルへ輸送不可となり、出場を断念しました。

その後株式会社オーソ(オーソ・クリニカル・ダイアグノスティックス株式会社、ジョンソンエンドジョンソンのグループ企業)社長に就任するなど実業家としても活躍していましたが、定年退職後にオリンピック再挑戦を決意し2003年から家族を日本に残し単身でドイツ・アーヘンで馬術修業に向かいました。

2008 年開催の北京オリンピックでは、ウィスパー号とペアを組み、馬場馬術団体、同個人で出場。

日本選手としては、ソウルオリンピックに馬場馬術で出場した井上喜久子を上回る史上最高齢(67歳)でオリンピックに出場しました。

44年ぶりの出場も史上最長記録。また、北京オリンピックに出場した全選手中でも最高齢でした。

馬場馬術個人の1次予選(同団体の決勝を兼ねる)では34位で1次予選落ち、団体では9位でした。

2010年03月16日